『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』

  • 鑑賞日:4月16日(月)
  • 鑑賞場所:シネマサンシャイン土浦

アメリカと言う国は、闇をつくるのが本当にお得意なようで・・・。ベトナム戦争を正当化する為に、戦況を偽装した事実を暴くジャーナリストの正義。今の日本はもちろん世界の情勢を見渡して、何ともタイムリーな作品だ。

レビューするよっ!(遅っ)

「ペンタゴンペーパーズ」とは?

ベトナム戦争を分析・記録したアメリカ国防総省の最高機密文書の通称で、正式名称は “History of U.S. Decision-Making Process on Viet Nam Policy, 1945-1968” 「ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年」。ベトナム戦争におけるアメリカ関与の歴史を研究し記録した政府の機密文書で、トルーマン大統領時代のフランスとの密約(裏取引)に始まり、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンにわたる政府の関与が記録・分析されている。その分析の内容は、長期化するベトナム戦争が勝つ見込みのない戦争であり、時のニクソン政権がその実情を把握していながら、戦争を継続させていたことを指摘していた。

ニューヨーク・タイムズのスクープによって暴露、後にその存在を全米をはじめ全世界が知ることになる。この文書からアメリカ国民による政府に対する「信頼性のギャップ」が深まった。

圧力に屈せず戦い勝ち取った「報道の自由」(あらすじ)

長期化するベトナム戦争、アメリカはベトコンと呼ばれる「見えざる敵」に苦戦。米軍に同行していた軍事アナリストのダニエル・エルズバーグは、そんな戦況を目の当たりにして、この戦争が明らかに「勝ち目がない」ものと考えるのだった。その結果を、エルズバーグは報告するが、国防長官のロバート・マクナマラは、マスコミに対して「戦況はよくなっている」と虚偽報告するのだった。

数年後、ランド研究所(軍事関連の戦略研究所)に勤めていたエルズバーグは、国防総省からベトナム戦争に関する機密文書(ペンタゴン・ペーパーズ)を持ち出し、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンの4人の歴代大統領が戦争にまつわる事実隠蔽に関わっていたことを知る。そして文書のすべてをコピーしたエルズバーグはニューヨークタイムズにリークするのだった。

1971年、キャサリン・グラハムは夫の死を機にワシントンポストの経営を引き継いでいたが、周囲からその能力を疑われ、苦労と疎外感に苛まれる日々を送っていた。

ニューヨーク・タイムズでは、機密文書である「ペンタゴン・ペーパーズ」がスクープとして掲載。ワシントン・ポストの編集主幹ブラッドリーはタイムズの記事を見ながら焦りを隠せないでいた。「ペンタゴン・ペーパーズ」の内容は米政府が欺瞞と詐術で、ベトナム戦争の災禍を拡大したという事実が記され、アメリカ社会に反戦の動きが拡大していった。キャサリンは、タイムズの編集者であるエイブ・ローゼンタールと食事をとり、「ニクソン大統領がタイムズ紙を訴えるのではないか」という話を聞く。

そんな中、エルズバーグは「ペンタゴン・ペーパーズ」をワシントン・ポスト編集局次長・記者であるベン・バグディキアンにもリークする。そしてバグディキアンは、文書をもとに記事を書き始めるが、ブラッドリーは、キャサリンに「記事を書けば法的措置を受ける可能性がある」と明かす。

記事の作成は夜を徹して行われた。その間にキャサリンは法務担当者や会社首脳、そしてブラッドリーらと電話での緊急協議を続けた。古参の社内首脳たちは、記事を掲載すれば法的に問題となり、株式公開も取り消され、最悪の事態として、このワシントン・ポスト社が無くなりかねない主張。それに対して、ブラッドリーは「報道の自由を守れず、権力に屈するなら、新聞社などないも同然だ」と主張するのだった。そしてキャサリンは、記事を出すことを決意する。

翌日、ワシントン・ポストは一面で「ペンタゴン・ペーパーズ」の記事を掲載。その後様々な地方紙や出版社が後追いで記事を掲載。この状況に業を煮やしたホワイトハウスでは、ニクソン大統領が司法省に命じて、国家機密文書の情報漏洩、安全保障を脅かす行為だとして連邦地方裁判所に、記事の差し止め命令を求める訴訟を起こす。これに対してワシントン・ポストとニューヨーク・タイムズは即座に「言論の自由」を保障する憲法修正第1条に反していると申し立てる。

結局連邦裁判所は、キャサリン・グラハムらの申し立てを支持。「報道は統治者のためにあるのではない。国民のためにあるのだ」とされ「報道の自由」が勝利、政府の訴えは却下される。

怒り心頭のニクソン大統領は、ワシントン・ポストに対し記者の出入り禁止等の報復を画策するのだが・・・。民主党本部があるウォーターゲートビルの深夜の侵入者。警備員がそれを発見する。

アメリカ史上最悪の政治スキャンダル「ウォーターゲート事件」が、ニクソン大統領に忍び寄っていた。

いい味出してます。メリル・ストリープとトム・ハンクス

“キャサリン・グラハム”は、言うなれば世間知らずの専業主婦が、“旦那の死”というとばっちりを受けて、当時地方紙だったワシントン・ポスト社のオーナーとなった。古参の経営陣に意見が通らず、オーナーとしての自分の能力に悩んだり、ペンタゴン・ペーパーズのスクープを掲載に踏み切るに至るまでの決断の経緯、そういった心の葛藤をメリル・ストリープは巧みに演じている。時にお気楽なお嬢様、自信なく不安に満ちた姿、決断、自信などなど、様々な表情を別々に演じるのでゃなく、様々な表情を漂わせながらその時の最善の演技をみせる、「さすがだなぁ」、「あぁ、これがメリル・ストリープだぁ」と思わざるを得ないのだ。

トム・ハンクス演じる“ベン・ブラッドリー”はジャーナリストの鏡のような人物で、その人脈は政界や競合誌など顔も広い。「ジャーナリストの“聖なる義務”は真実を伝えること」と、報道に対しても自身の信念をしっかり持っていて、本編の題材である「ペンタゴン・ペーパーズ」のスクープ掲載する際も、ワシントン・ポスト社の古参の経営陣の解答は、反対もしくは慎重であったが、ベンは強行を主張する。しかしただ強行を主張するのではなく、多方面から情報収集をしっかりしたうえでの主張だった。仕事に振り回されながらも仕事を楽しむ、いわゆる典型的な仕事人だ。そんなベン・ブラッドリーは当然人望も厚く周囲から愛されていたらしい。なんだかトム・ハンクスのような人だ。

トムとメリルは上司と部下だが、時として立場が逆転するシーンも・・・。両者から伝わってくる信頼感なども二人の演技から、明快に感じ取ることが出来る。

今このタイミングだからこそ・・・

財務相による森友学園決裁書改ざん、防衛省による南スーダンとイラクPKO日報隠ぺい、財務相の福田事務次官によるセクハラ疑惑、加計学園新設計画疑惑などなど、今日本の国会はガッタガタ。これらの問題をもみ消そうとしているのかどうだかわからないけど、首相を筆頭に財務大臣や元首相秘書官などなど名だたるエリート共が、「うそでしょ、それ」とか「それはないでしょう」と思えるような、小学生でも言わないような言い訳染みた弁明(誤魔化しか)に必死。しかもマスコミに悪態をつく奴まで出る始末。

またマスコミをめぐっては、選挙において自民党が民放とNHKに「要望書(公平性を求める)」を提出。景気への厳しい声が相次ぐ街頭インタビューに対して、安倍首相が「評価する声が全然反映されていないのは、おかしい」と反発。2016年には高市総務相(当時)が、政治的公平性を欠く放送局に電波停止を命じる可能性に言及し、首相が追認した経緯など、今の安倍政権下では、4条の「政治的公平」原則をテコに民放がけん制されてきた。(政府はマスコミの報道が怖いのか?よほど気にくわないのか?)

本国アメリカでもトランプ大統領によるロシアン・ゲート事件や対マスコミへのフェイクニュース騒動など、日本やアメリカのみならず世界的に“報道と国家”“報道とマスコミ”など「報道の在り方」が問われている。こんなタイミングで公開された本作「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」は非常に意味があるように思える。

本編では今の時代(タイミング)にズドンと突き刺さるようなセリフがいくつもあって・・・。

  • 「新聞記事について夫はこう言った。“歴史書の最初の草稿だ”と。」
  • 「小さな抵抗に寄与するのが夢だった。」
  • 「報道は統治者のためにあるのではない。国民のためにあるのだ」

これらのメッセージは、前述のように今の世界中が抱える問題に対しての提言の様に思える。

また、本作の脚本/製作総指揮である、ジョシュ・シンガーがこんなことを言ってます。「ある意味、これはウォーターゲート事件の発端となる物語だ。グラハムやブラッドリーたちがいなければ、ウォーターゲート事件に関する報道は起こらなかったかもしれない。」

なるほどなぁ・・・。

 

そして「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」の一番最後に出るクレジット、「ノーラ・エフロンに捧ぐ」の理由が興味深いです。

精神科医で映画評論家でもある樺沢紫苑さんのこの記事→

ノーラ・エフロンに捧ぐ  ~やっぱり『ペンタゴン・ペーパーズ』はおもしろい