『デトロイト』
- 鑑賞日:2月3日(土)
- 鑑賞場所:MOVIXつくば
前夜の睡眠3時間で観に行った『デトロイト』。映画から伝わる緊迫感に眠気も吹っ飛んで最後まで見ることが出来ました。
レビューするよっ!(遅っ)
アメリカの闇と狂気(あらすじ)
この映画は、実際に1967年に起きたデトロイト12番街暴動の最中に起きた、アルジェ・モーテル事件に基づいている。
1967年7月23日。デトロイトでは、ベトナム戦争から帰還した黒人退役軍人を讃える式典が開催されていた。そんな中、デトロイト市警は違法酒場の摘発に、現場近くにいた黒人達は、警察官に抗議の投石、これに端を発し略奪、火災、銃撃戦が起こる。暴動は拡大し続け、事態収拾のため市警だけではなく、州軍派遣にまで及ぶ。暴動が始まった翌日、略奪犯を追いかけていた一人フィリップ・クラウス刑事は、丸腰だった犯人を規則に反しショットガンで射殺してしまう。本来ならクラウス刑事は、起訴を検討される状況だが、暴動のどさくさで現場で職務を続けていた。
一方、R&Bのバンドグループである「ザ・ドラマティックス」が、デトロイトの音楽ホールでライブを行おうとしていたところ、暴動の波がホール近くまでおよび警察が通りを封鎖。バンドメンバー達は、バスでデトロイトを離れようとするが、暴徒の襲撃に巻き込まれ、ヴォーカルのラリー・リードとその友人であるフレド・テンプルは「アルジェ・モーテル」に逃れ宿泊する。
ラリーとフレドはモーテルで、ジュリーとカレンという2人の白人女性、そして彼女たちの友人カール・クーパー、オーブリー・ポラード、リーという男達と知り合う。クーパーはスターターピストルを使って悪ふざけを始めた。そんな中、クーパーは警官たちのいる方に向かって、数発の空砲を撃つ。それが悲劇へと向かう口火となった。
警官たちの中にいたクラウス刑事はそれが狙撃と勘違いし、警官隊を引き連れ「アルジェ・モーテル」に乗り込む。そしてクラウス刑事は、逃げようとするクーパーを射殺する。彼は、遺体の近くにナイフを置き、「ナイフで襲われそうになったから、射殺した」と正当防衛をでっちあげる。
民間警備会社勤務のメルヴィン・ディスミュークスは、食料品店で略奪者から店を守ろうと警護に当たっていたが、モーテルでの騒ぎを知り状況を確認しに向かう。現場では警察がモーテルを取り囲み、狙撃手を探していたが、狙撃銃すら発見出来ないでいる。焦るクラウス刑事はラリーとフレド、ジュリーとカレン、オーブリー、リー、そしてベトナム戦争の帰還兵であるグリーンたちを「容疑者」と仕立て上げ別室に移動させる。そこで取り調べと称して容疑者たちを虐ぶる恐怖のゲームが始まっていた。クラウスの部下やガードマンたちは関与したくなく、クラウス刑事の非道を放置していた。メルヴィンはそんな状況に危機的な違和感を感じる。
クラウス刑事は個々の非道な尋問で狙撃犯をでっち上げようとする。そして騒ぐジュリーの服を引き裂き、ジュリーを売春婦、グリーンをポン引きなどと罵るなど、恐怖のゲームは次第にエスカレートしていく。そんな最中、クラウス刑事の部下であるデメンスは、恐怖のゲーム中に実際にオーブリーを射殺してしまう。クラウス刑事は「こいつ(オーブリー)が銃を奪おうとした」と偽証することで、またも罪を逃れようと考える。そんなどさくさの中、メルヴィンらはジェリーとカレンをなんとか逃がすことに成功する。
事態の収拾が一向につかないまま、クラウス刑事の仕掛けた恐怖のゲームは煮詰まりをみせていた。そして彼は、目撃者たちに「今夜のことは秘密」という条件付きで解放することを約束する。グリーンとラリーは同意するがフレドは拒否。そしてクラウスは隠滅を図るためフレドを殺害するのだった。
騒動は一応の収束をみせた。一方警察ではメルヴィンがモーテルの事件の目撃者として名乗りを挙げるのだが、担当した刑事2人は人種差別的な考えの持ち主で、証言をでっち上げられ、一時的に投獄されてしまった。一方、クラウスと一緒にいた刑事のデメンスやフラインはモーテルに行ったことを認めたものの、クラウス刑事はそれを認めなかったが、クラウスらは殺人罪で逮捕され、裁判にかけられることになる。
事件のトラウマが原因で、ザ・ドラマティックスを脱退したラリーは、証人としてあの事件の裁判に出廷。が裁判所は刑事たちの自白を証拠としては認められないとした。さらに陪審員たちが全員白人だったこともあり、クラウス刑事らは無罪、釈放されてしまう。メルヴィンは目撃者としてクラウス刑事に対峙するが、弁護士の工作もあり、正義を勝ち取るのは困難だと悟るのだった。無罪となったクラウス刑事や部下たちは、 解雇されることこそなかったが、現場には二度と立つことはなくなった。
あの夜アルジェ・モーテルで死のゲームに巻き込まれ、恐怖と直面した犠牲者たちは徐々に普通の生活を取り戻していた。ジュリーは立ち直って家族と新たな人生を・・・、一方目の前で親友のフレドを殺されたラリーは、教会で聖歌を歌っており、今なおデトロイトで暮らしている。
デトロイト暴動
1967年7月23日から27日にかけてアメリカ合衆国ミシガン州デトロイトで起こった暴動である。12番街暴動、12番通り暴動(英語: 12th Street riot)としても知られる。この暴動を鎮圧するため、ミシガン州は陸軍州兵を投入した。43人が死亡し、1189人が負傷した。デトロイトでは1943年にも暴動があったが、それを超える規模となった。
アルジェ・モーテル事件
1967年7月25日から7月26日にかけてアメリカ合衆国のミシガン州デトロイト市内のホテル、アルジェ・モーテルで起こった事件である
アルジェ・モーテルは同年7月23日から7月27日に起こったデトロイト暴動の場所から約1.6km東に位置し、そこで暴動鎮静のため構成されたデトロイト市警察、ミシガン州警察、ミシガン陸軍州兵による民間人への暴行及び殺人が行われ3人の黒人男性が死亡した
この事件はアルジェ・モーテルの近くのホテルに狙撃手、銃を持った犯罪者またそのグループがいるとの報告を受けた後に始まり、死亡した一人は容疑者とされ、残る二人は警察による正当防衛によって死亡したとされた
暴行、第一級殺人、共謀、職権乱用の罪で3人のデトロイト市警察の警察官と暴行、共謀の罪で民間の警備員が起訴されたが、全員無罪判決が下された。
騒動の舞台「デトロイト」
デトロイトと言えば・・・。
「フォード」や「GM」そして「クライスラー」などの巨大自動車メーカーで隆盛を極めた街。またショービズの世界では抜きにして考えられない「モータウン」の発祥地でもある。
暴動の起きた当時、1967年のデトロイトはまだ自動車産業が盛んで(70年代に入ると日本車の台頭などでその栄華にも歯止めがかかりはじめるが)、そんなデトロイトに職を求めて多くの黒人が殺到、仲間同士で居住区を形成して生活するようになる。つまり貧困にあえぐ黒人が中心地に、白人は郊外という図式が成立した。暴動はそんな黒人居住区から起きた。
モータウンは、デトロイト発祥のレコードレーベル。自動車産業で知られるデトロイトの通称「Motor town」の略である。黒人(アフリカ系アメリカ人)が所有するレコードレーベルとして、R&B、ソウルミュージックなどブラックミュージックを中心に、ポピュラー音楽の人種の垣根を超える重要な役割を担った。
アルジェ・モーテル事件の犠牲者の一人、ラリーが所属していたR&Bのバンドグループである「ザ・ドラマティックス」は、デトロイト出身グループながら、モータウンには入らず、南部メンフィスのレーベル「スタックス(ヴォルト)」と契約。しかしながら、地元デトロイトでは圧倒的な人気を博していた。モータウンとの関係はないのだが、ソウルミュージックが盛んな土地での興行中に巻き込まれた災難だったことになる。
デトロイトと言えば、映画「ビバリーヒルズ・コップ」を思い出す。主役のエディー・マーフィー(アクセル)が、マシンガントークで白人をおちょくるシーンは印象的。あの冒頭のド派手なカーチェイスシーンも当時のデトロイトを映し出している。が、デトロイト暴動からは20数年後の姿を映し出す映画ですが・・・。
アメリカが抱える「闇と狂気」
人種差別と言う闇
建国当時、かつてアメリカは黒人奴隷を容認、その多くは南部で酷使され「奴隷制の拡大」に関する議論で1861年に南北戦争が起こる。その後、リンカーン大統領の奴隷解放宣言などを経て、少しづつ改善されていく。
1955年のモントゴメリーのバスボイコット運動。60年代にはキング牧師にマルコムXが登場。彼らに対する暴力的行為など、人種差別の問題は「一進一退」を繰り返しながら少しずつ権利を勝ち取ってた。法が動き、制度も改まったが、アメリカ全国民が同時に意見を変えることは無理に等しい。特に黒人差別を真正面から主張する秘密結社KKKなど、時に白人は過激で残虐な牙を剥く。
今も続くアメリカの闇、記憶に新しいところでは、2017年8月12日に行われた白人至上主義者の集会に際して、反差別のカウンター・デモを行っていた集団の中に、白人至上主義者の車が突っ込み、女性が死亡し多数の負傷者を出した事件。この事件に対してトランプ大統領が出した声明が「どっちもどっち」的な驚く内容だった。
自由の国を謳う「アメリカ」は移民の国でもある。そして人種差別は黒人に限定されるものではない。現在公開中のミュージカル映画「ザ・グレイテスト・ショーマン」では、他人種・ハンディキャップなど様々な人への差別が描かれている。
司法の闇
2011年に黒人男性が白人警官に射殺され、昨年9月、この件に関しての判決が無罪だったことへの抗議デモが暴徒化。アメリカでこのようなケースは後を絶たない。このような人種間で起きた事件に対して、それを司法で裁くことができていない、これこそが大問題ではないだろうか。そして「暴行」「不当逮捕」まで間口を緩めればさらに多くの数の問題ケースがヒットする。
映画「デトロイト」でもアルジェ・モーテル事件の裁判において、陪審員が全員白人だったこともあり判決は白人だった市警に有利に働らき不当なものだった。
アルジェ・モーテル事件での死の尋問ゲームも、確かに狂気ではあったが、事件後の取り調べや裁判シーンにこそ、アメリカという国の抱える闇と狂気を覚えたのは、決して僕だけではないんじゃないだろうか。
おわりに
昨年公開された映画「ドリーム」では、NASAのマーキュリー計画における黒人女性スタッフの差別との闘いが描かれていた。また、2009年1月1日、22歳の黒人青年が警察官に銃で撃たれて死亡した事件を描いた映画「フルートベール駅で」(2014年公開)は、事件後の抗議運動から生まれた映画だ。そして本作品の「デトロイト」も事件の裁判の不当な判決に対しての抗議がきっかけとなって生まれた映画だ(時系列はかなりさかのぼり鮮度はかなり落ちるが・・・約50年前)。アメリカでは自国の闇(恥部)を映画などで世に出し問題を提起できる寛容さもある。
が、トランプ大統領が当選した大統領選を機に、地下に潜んでいた秘密結社KKK(白人至上主義団体)の活動がにわかに活発化してきている事実もある。表向きの平等とは裏腹に、アメリカの闇「人種差別」の根は深い。
「デトロイト」はノンフィクションに近いフィクションだ。しかし作り手の意思や信念は理解できる。この映画をどう受け取るのか。劇中で起きた様な人種差別は、決して過去形ではなく存在していることを心に留めていただきたい。